ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

障害者集う場 空白地に開拓

2025.11.03

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一般社団法人あゆみ会 代表理事 山添 八重子さん

 旧美山町(現・南丹市)には、障害のある人たちが集まる場、働く場となる共同作業所が長い間、ありませんでした。そこで知的と身体、精神の障害にかかわる親の会など3団体が、町社協の支援で一つにまとまり行政に働きかけ実現したのが「みやま共同作業所」です。2000年5月のことでした。

 「自宅から通える居場所ができた」。うつ病から精神障害を患った長男がいる私にとって、作業所開所の感激は今も忘れられません。町施設「美山基幹集落センター」の一角を間借りして利用者さん8人でスタート。地元の文具メーカーから、名札組み立ての仕事もいただき、みんなで自立へ向かう足がかりを得ました。その後、名称を「あゆみ工房」と替え20年まで同じ場所で活動を続けたのです。

 「あゆみ会」は、みやま共同作業所に関わった親や家族が中心になり11年に発足。現在は、南丹市内で就労継続支援B型事業や生活介護事業を行うあゆみ工房と、4つのグループホームを運営しています。

「若い後継者の確保が一番の課題」と語る山添八重子代表理事(南丹市美山町、あゆみ工房)

 廃校になった小学校校舎を借りたあゆみ工房には、20~80代の利用者さん32人が通い、米粉パンの製造販売や、名札の組み立て、さをり織りなどの仕事に従事。美山に3カ所、日吉に1カ所あるグループホームには、計36人が暮らしています。

 これらを約60人の職員・スタッフで支え「利用者さんが安心して暮らせる居場所であり続けるため、何をすべきか」を常に問いながら日々、励んでいます。

 私は若いころ縫製工場で働き、結婚後は7年間、保険外交員を勤めました。必要に迫られ2人の幼い子どもを連れてセールスに回ったのですが、熱心さが買われ成績は良好でした。辛抱と根気とまじめさが何より大切と悟り、この体験は後の福祉現場で役立ったと感じます。

 30代半ばからは学校用務員として美山町に採用され小、中学校で計24年間勤務。共同作業所の開設運動には、いつも勤務を終えて駆けつけたものでした。

 障害のある子どもを持つ親に共通する気がかりは、「親亡き後」です。一つの答えがグループホームであり、私たち「あゆみ会」は、その実現を主目標に定めています。閉所した市立保育所を買い取り最初のグループホーム「一歩」を開設したのが13年。「二歩」「三歩」と続き23年には「四歩」が誕生しました。施設名はあゆみ会事務局長のTさん(70)が命名しました。旧美山町社協の職員時代から私たちの支援者であり、今は頼れる法人の知恵袋的存在です。

 これからのあゆみ会に望むのは、利用者さんと職員を確実に守れるよう社会福祉法人化を果たすこと。ただ、その前に事業を後継する人材の確保が大きな課題です。志ある若者に短時間就労してもらう方法など、知恵を集めこの難題を克服していきます。

やまぞえ・やえこ

1943年、南丹市美山町生まれ。保険外交員や小学校用務員などを経て長男のうつ病・高校不登校を機に障害者福祉の道に。2000年、みやま共同作業所設立に参加。11年、一般社団法人あゆみ会の設立に加わり代表理事。23年までに4つのグループホームを開設した。南丹市在住。