ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

ゆっくり熟成する言葉

2026.01.12

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

もみじヶ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎

 幼い子どもが、親から何かを言われても、その当時は全く意味を理解できないというのはしばしばあります。しかし、その言葉は子どもの心にしっかり刻み込まれてはいるのです。その後に長じて思春期や成人になると、ある段階で突然その言葉は意味を獲得し、無意識のうちにその人の心に大きな影響を与えます。精神分析学で「事後性」と呼ばれる現象です。

 したがって、相手が乳幼児だからといって、「全然かわいくない」「生まれてこなければよかった」などと決して言ってはなりません。そういう否定的な言葉が子どもの一生に深刻なダメージを与える可能性があるからです。「ウマレテコナケレバヨカッタ」という単なる「音(おと)の羅列」が「意味」に変わる恐怖を想像してみて下さい。

 20歳頃にはピンとこなかった親の助言が、50歳になってから腑(ふ)に落ちるということを皆さんはおそらく経験されているでしょう。これも「事後性」の一種と考えて構いません。ある種の言葉は、その状況における意味を示すのみならず、心の中で時間をかけて発酵すれば、より深い別の意味にも昇華しえるのです。

 患者さんから「5年前の先生のあの言葉の意味がようやく理解できるようになりました」と言われる事例があります。当時の患者さんにとっては「心の中の妙な異物」としか感じられなかった主治医の言葉が、実は「患者さんの心の崩壊を防ぐ金具の役割を果たしていた」のが5年後に判明したというわけです。

 最近の医療では「治療のタイムパフォーマンス」つまり「できるだけ速く効果を発現させること」が求められがちです。精神科臨床における薬物療法の偏重もそういう趨勢(すうせい)と無関係ではありません。

 言葉によって治療する精神療法には「事後性」「言葉の熟成」という面があることをご承知ください。今のみならず、5年後、10年後をも見据えて処方される言葉なのです。いつか効果が現れるでしょう。

しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。 1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。