2026.02.10
2026.02.10
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
平等院住職 神居 文彰
記憶が物語を構築するのか記憶化された物語が行動を左右するのか、他者への愛情やアルトイズム(利他的行動)、善行や偽善という思念が現実に作用し、音声と動作が紡がれ数々の芸能が産み出される。
ただAIが照会ごとに深化する現代では精神と創作の乖離(かいり)が起きてしまう。
大津のびわ湖ホールが大規模改修のため6月から休館になるといいモーツアルト『劇場支配人』/レオンカヴァッロ『道化師』を観劇した。上野の東京文化会館も5月から3年ほど改修休館が実施され音響の優れた両館の再誕を心待ちにしたい。
びわ湖の2作組み合わせはかなり面白く、モーツアルトのものは舞台を作り上げる奮闘をまるで神と遊ぶような楽曲で彩り、現実を営む人々の喜劇とする。作中の「芸術が自然と同等の価値をもつ」という言い回しはいかにもヨーロッパ的であった。

落ち着きなくアルルカンとピエロの違いを進行中勝手に自問していたが、『道化師』は劇中劇が進む中、現実の束縛と嫉妬が愛憎と輻輳(ふくそう)し、妻とその恋人を刺し殺し観客役が逃げ惑う中「喜劇はこれで終わりです」と幕が降りる。実話にヒントを得たと言われる。
役柄と自身が混濁する極めつけは『ニジンスキー』(‘80)で、天才ダンサーである主人公が舞台上でパンと一体化し自慰を行ってしまうシーンだろう。往年の方なら「紅天女」に没入した人も居るはずで夢幻能を想起させる。荘子の『胡蝶(こちょう)の夢』はつくづく怖ろしい。
対して近松物は実話を直線的に展開させ劇的ラストを用意する。愛と行為と死が淳良(じゅんりょう)なのである。
実体験から執筆された康成『雪国』は愛の行方が日本的風土で描かれ、シューベルトの交響曲ロ短調がなぜ未完成なのか諸説のうち映画『未完成交響曲』(‘33)では秘められた恋により「我が恋の終わらざるごとく」と結んでいる。
鑑賞に高揚中、脳内に恋人の死体を砂に埋めキスをし口説く『情婦マノン』(‘49)が浮かび切なくなった。
かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。