2026.02.23
2026.02.23
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
ACT-K主催、精神科医 高木 俊介
京都御所の南西に両替町通という筋がある。その名のごとく江戸時代の金融の中心、ウォール街だ。銀貨の鋳造も担い、「京の銀座」とも呼ばれていた。
琳派中興の祖である尾形光琳は、この町に縁が深い。この稀代の画家は、また大変な放蕩(ほうとう)者で、代々の家財を蕩尽(とうじん)し、仕方なくデザイナー稼業で暮らしを立てることになる。その時のパトロンのひとりに中村内蔵助という男がいた。
その内蔵助が、実はこの両替町通、京銀座の役人だったのだ。いくら元禄(げんろく)時代とはいえ、なぜ一介の役人が当代一流の画家の面倒をみるほど裕福だったのか。どうやらこれが元禄時代の金融緩和政策、幕府勘定奉行であった荻原重秀による銀貨改鋳のためなのだ。

重秀は長引くデフレ脱却のために貨幣中の銀の量を減らす改鋳を行い、その際、役人を抱き込むために鋳造元である銀座の取り分も引き上げた。銀座は少ない銀でより多く儲(もう)けることができ、銀座役人もそこから莫大(ばくだい)な収入を得たのである。緩和政策で世はバブルに沸く。日夜豪遊する銀座役人の様を「両替町風」と言ったという。その内蔵助の援助で光琳は創作に邁進(まいしん)し、今に残る光琳ブランドを打ち立てたのである。バブルの申し子だ。
インフレ政策で生じたバブル経済のもと、元禄文化が栄え、近松に「曾根崎心中」を書かせた恋愛ブームも、忠臣蔵の討ち入りもこの世相の中で起こった。
しかし、このインフレ政策は、浅間山噴火や元禄大地震の天変地異をきっかけとして財政を逼迫(ひっぱく)させる。幕府はやがてありとあらゆる手で増税を行わざるをえなくなった(酒税というやつもこの時に始まったらしい)。その結果、庶民はインフレによる物価高と重税の二重の負担に苦しむこととあいなるのであった。
さて、しかし元禄のインフレ好景気は、尾形光琳のような今に残る数々の文化を残し、日本の伝統を確実に支えてきた。それに比して、現代の金融緩和は、かつての元禄文化に比肩しうる何かを残すだろうか?
たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ。