ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

「あなたもきついでしょう」

2026.03.30

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

 人はなぜ戦うのでしょうか。いま、世界各地で起こる戦争のニュースを見るたびに、私の胸は痛みます。「観無量寿経」の序分には、お釈迦(しゃか)さまの時代、王舎城で父王・頻婆娑羅(びんばしゃら)を殺して王位を奪った阿闍世(あじゃせ)の実話が記されてあります。

 阿闍世は悪友にそそのかされ、怒りのままに父を殺してしまいます。しかし、父を殺したことへの悔いが、彼の身心をさいなみます。体には瘡(かさ)ができ、悪臭を放つほどに苦しみ、地獄の報いが迫るように感じて恐れおののくのです。

 お釈迦さまの在家の弟子で名医でもあった耆婆(きば)が、阿闍世に向き合います。

 そのとき、耆婆がかけた言葉は、ただ一言「眠れていますか」。なぜ、この問いだったのでしょうか。父を殺したとき、阿闍世は怒りに満ちていました。しかし本当は、自分の心を守ろうとする弱さと恐れがあったのでしょう。怒りで覆い隠していただけで、心の奥は恐怖に震えていたのです。だから、眠れるはずがありません。

 耆婆は阿闍世をお釈迦さまのもとへ導きます。するとお釈迦さまは、「私は阿闍世王のために涅槃(ねはん)には入らない」と、その苦悩を悲しまれたのです。その言葉に、阿闍世の心は大きく揺さぶられました。月の光がすべてのものを静かに照らすように自我に閉ざされていた阿闍世の心が初めて開かれたのです。

 阿闍世は「この真実によって人々の迷いが破られるならば、私は無間地獄にあって苦しみを受けても苦とは思いません」と。

 私たちは、不安に寄り添ってくれる人に出会えたとき、「戦う」のではなく、「共に生きる」という道が見えてくるのではないでしょうか。欲望だけを追い求める時代ではありません。

 親鸞聖人は「念仏者は無碍(むげ)の一道なり」と申されました。

 苦しみを抱えながらも、確かな道を歩んでいく人生が、そこに開かれていくのです。「あなたもきついでしょう」と言える心が、争いをほどくはじまりになるのではないでしょうか。

 

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。