2026.06.08
2026.06.08
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
もみじヶ丘病院院長、精神科医 芝 伸太郎
不可解で悲惨な事件がおきるたびに、判で押したように、ニュースキャスターは「心の闇の解明が待たれます」とコメントします。あたかも「心の闇」が現代では深まっているかのような言いかたです。
「家の娘は四歳であるが、ことしの八月に生れた赤子の頭をコツンと殴ったりしている」「感覚だけの人間は、悪鬼に似ている」と。皆さんもご承知のとおり、子どもは相手に言ってはならないことも遠慮なく口にします。要するに残酷な面があるわけです。この文豪が「子どもには倫理の訓練が必要」と説くのも納得できます。
人間は生来、自分勝手であり、他者に対する強い攻撃性を秘めている厄介な生きものです。社会が健全に営まれるには、人間のそのような「悪」が心の奥深くに隠しおかれている必要があります。そこがおそらく「心の闇」と呼ばれる場所なのでしょう。

「心の闇」は「悪」を中に閉じこめて、そのままの形で外に出ないように押さえつけています。もし勢いあまって噴出してしまうときには「心の闇」は「悪」に手を加えて、文化や芸術へ昇華させます。「毒にも薬にもなる」という諺(ことわざ)どおり、猛毒を原料に特効薬が精製されるイメージです。
「心の闇」は、「真っ暗な闇」として、それ自体は本来見えてはならないものなのです。もし「闇」の空間に光がさしこんでしまうと、「悪」が生身のままで意識に混入する事態も招来されるでしょう。抑圧されるべき攻撃性がむきだしになれば、何が起きるかは容易に想像がつきます。
現代では「心の闇」が深まっているのではなく、むしろ逆でないかというのが私の仮説です。四方八方から光がさしこみ、「悪を封印する力」が衰弱しているのではないでしょうか。
隠すべき感情をSNSでむやみに暴露する心性も無関係ではないはずです。社会全体の病理として考える必要があると思います。
しば・しんたろう氏
京都大学医学部卒。兵庫県生まれ。
1991年もみじケ丘病院。2018年より現職。専門は気分障害の精神病理学。