ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

仲介人

2026.06.16

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

真宗大谷派僧侶 川村 妙慶

 「しつけのために叩(たた)きました」。親や教師が子どもへの暴力を正当化するとき、そんな言葉が使われることがあります。しかし、どれほど愛情があったとしても、力によって相手を傷つけることは許されません。

 暴力とは殴る、蹴るだけではありません。怒鳴る、脅す、無視するといった言葉や態度も、人の心を深く傷つけます。暴力は相手を説得するものではなく、恐怖によって従わせるものです。そこに生まれるのは理解ではなく、支配と服従の関係です。

 最近、虐待事件が後を絶ちません。ニュースを見るたびに「ひどい人だ」と非難したくなります。しかし一方で私は、「もし自分が同じように追い詰められ、助けを求める人もなく、生きる余裕を失ったなら、本当に同じことをしないと言い切れるだろうか」と考えるのです。

 浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は『歎異抄』で、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」語られました。「私は善い人間だから人を傷つけないのではない。条件が整えば何をするかわからない存在なのだ」という告白です。親鸞聖人はまず、自分自身の危うさを見つめられました。

 実は私はプロレス観戦が好きです。「僧侶がプロレス?」と驚かれるかもしれません。リングの上では激しくぶつかり合いますが、「自分が正しい」という思いが強くなりすぎると、相手を傷つけてしまうことがあります。そんなとき、レフェリーが間に入り、「そこから先は違う」と止めるのです。

 私たちの日常でも、怒りや憎しみから相手を言い負かしたくなることがあります。しかし、その感情を力ではなく対話へと変えていく。そこに本当の説得力があるのではないでしょうか。阿弥陀さまは人生というリングの上で、「待って。その先は違うのではないですか」と呼びかけてくださる仲介人なのかもしれません。

 

かわむら みょうけい氏
アナウンサー。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。