2026.08.10
2026.08.10
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
立命館大名誉教授 津止 正敏
今年5月に全国公開された映画「廃用身」。原作は久坂部羊が2003年に発表した同名小説だ。「廃用身」とは、脳梗塞等の後遺症で回復見込みのない麻痺(まひ)した手足のことをいう。
舞台は医師・漆原糾が経営するデイケア施設。そこでは手足の麻痺に苦しむ高齢者に画期的な治療「Aケア」が施されていた。「A」は「Amputation(切断)」。介護負担を軽減するために、「廃用身」を切断し「軽く」する。ケアは「Sケア」「Dケア」とさらに〝進化〟する。「S」は「Stoma(人工肛門)」、「D」は「Death(死)」のことだ。

小説では、不要な手足を切断し栄養摂取から排泄(はいせつ)処理等々ケアのすべてを極限まで効率化・機械化し、縦横列に千床のカプセルを擁する巨大施設をも仮想している。「老人牧場」と冷笑する管理者の悍(おぞ)ましさ。
漆原医師は、デイケア職員からの内部通報によってメディアに晒(さら)され、ついには「頭は私の廃用身」と遺書を残して自死する。線路に首を載せて頭を切断するという轢(れき)死だ。何ともやりきれない場面がこれでもかこれでもかと綴(つづ)られる。
先月26日はあの「津久井やまゆり園」で事件が起きて10年。元職員・植松聖死刑囚が、入所者19人を社会の役にたたない人として殺害した。「Dケア」そのものだ。漆原医師は、利潤最大化でリストラに走る企業に倣って「Aケア」は身体のリストラだといい、植松死刑囚は障害のある人をあってはならぬ「不要な存在」として、そうした。
いずれも「要不要」を人の価値基準として絶対視する。徹底して無駄を排除し際限なく効率性を追求する思考と体制はこの社会の支配構造だ。とすれば今を生きる私たちも無縁ではあるまい。体内深くに「内なる漆原/植松」を宿しているのではないか、と煩悶(はんもん)する。
小説は「いずれ時代が『Aケア』のような療法を必要とする時が来る。その時人々は漆原氏の慧眼を知るだろう」の不穏な一文で閉じる。23年後のいまその予兆はないか。不気味だ。
つどめ・まさとしけ氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる-男性介護者100万人へのエール-』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言-』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」-』、『子育てサークル共同のチカラ-当事者性と地域福祉の視点から-』など。