2026.09.15
2026.09.15
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。
平等院住職 神居 文彰
73年前の昭和修理時、鳳凰堂(ほうおうどう)(阿弥陀堂)床(ゆか)の付き合わせにラピス痕(こん)があったと伝わっている。
ラピスはフェルメール「真珠の耳飾りの少女」が巻く印象的なターバンの色である(コラボした「葬送のフリーレン」もさらに彩度が増したものを巻き、つい数版購入してしまった)。
その時代、英蘭戦争の勃発、日本では寛文京都地震、寺院僧侶統制の『諸寺院法度』発布、千姫も亡くなる。

現代に投影可能な時代の変革期かもしれない。彼の逸話で最も印象的なものが贋作(がんさく)のメーヘレン事件。誰もが美に盲目となるのか。
堂内の建築彩色は代用群青が用いられ、絵画部分に描かれる水波と一体となって全体が瑠璃色で高貴に輝き、まるで深海に漂うような錯覚に包まれる。
そこに東からの光線が白道のように本尊に到達することは、白洲正子や山頭火が残すとおりである。
近年糸魚川周辺からのラピス産出が確認されるが、当時はアフガン由来。現在は違和感がないが、仏堂に床が施されるのも鳳凰堂からである。祈りの空間に勇気を持って参集する揺籃(ようらん)であろう。
先日、ウィーンからのメッセージが届いた。ウィーンはベートーヴェンも滞在しそこで失恋した場所でもありとても淋しくなる。
添えられていた一枚が「名前のない図書館」の遠景。別名、オーストリア人ユダヤ人犠牲者祈念碑。
外壁が裏返しの本棚で開閉できない両開きの扉がつく。失われた二度と披(ひら)けない知識…。周辺にはホロコースト犠牲者のプレートが至る所に嵌(は)め込まれる。
日本人は礼儀正しい一方で自分の利益より他者の不幸を優先するという実験結果がある。
ストリートピアノ、排除アート、公園空地歓声の執拗(しつよう)な反応など私たちは過敏繊細過ぎる国民なのかもしれない。名もないプレートを透視し心思に触れたい。
世界は不幸なはずがない。
御堂東に拡がる空間は、臆病であっても白道を歩み進む人間を照らし出す。
かみい・もんしょう氏
大正大学大学院博士課程満期退学。愛知県生まれ。1992年より現職。現在、美術院監事、埼玉工業大理事、メンタルケア協会講師など。