ともに生きる [TOMONI-IKIRU]

誰に棄てられるのか―現代版「姥棄て」のリアリティ―

2026.10.19

  • コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

立命館大名誉教授 津止 正敏

 生き続けるのは悪なのか。退場を迫るのは誰なのか―赤坂憲雄『姥(うば)棄て考』(岩波新書)の帯コピーにひかれて手にした。

 「姥棄て」は、深沢七郎『楢山節考(ならやまぶしこう)』や柳田国男『遠野物語』はじめ各地に伝わる伝承物も豊富にあって広く認知されている。本書でも関連する内外の伝承や文学、映画、民俗学や法律・経済等の学術資料など、実に多様な作品群が傍証として引用されている。

 これら姥棄て論考の深掘作業の後に、本書の副題「老いの場所さがし」への考察が続く。著者は「姥棄て」が棄老を語りながらやがて養老へと反転していく兆候に着目しながら、老いを生き続けるための希望に繋(つな)げようと筆を運ぶ。

 その希望の対極にあるのが、著者のいう 「現代版姥棄て」という潮流だ。成田悠輔「老人集団自決論」/筒井康隆『銀嶺(ぎんれい)の果て』にある「老人相互処刑制度」/映画『PLAN75』の「老人自死制度」/カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』での「臓器提供」用クローン人間の製造。これらの作品で描写される制度・政策こそが、著者が「自殺幇(ほう)助の国家システム」と懸念するグロテスクな「姥棄て」現代版だ。

 作品・作家の主訴は何か。その真意はぜひ本書および引用原本にあたってほしいが、老人を無益な存在として「棄てる」ために、福祉を切り世代間の対立と分断を煽(あお)る世情を焦点化していることでは通底する。

 作家の桁外れの想像力と構成力で描き上げた仮想世界は、今まさに介護や医療分野で起きている現実と折り重なって恐ろしいほどのリアリティで迫ってくる。著者も私も1953年生。姥棄て現代版に「退場」を迫られる当事者世代だ。

 「隠居論」や「降りる思想」という既視感ある本書まとめに馴染(なじ)めず少々モヤッとするが、棄老から養老への転換に至る政策的示唆もしっかりとある。年金や介護等の社会福祉に世代間の連帯と継承を成す社会基盤を見いだす。私たちの「退場」ではなく全ての世代が共に手を携え生き続けるための政治の争点である。

つどめ・まさとしけ氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。 京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる-男性介護者100万人へのエール-』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言-』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」-』、『子育てサークル共同のチカラ-当事者性と地域福祉の視点から-』など。